母の遺品を手放す その2 (後編)

遺品整理

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 これまでの話

 

母が亡くなった際に、母の仲良しグループからもらった腕時計。

前の仕事の時は重宝してたけど、生活が変わり使わなくなって数年経ちました。

 

手放すか残すか、揺れています。

(↓腕時計への迷いはこちらに詳しく書いてます。 ざっと2年半前!)

 やっぱり修理して使い続けるかな?

 

と、いう方向に気持ちが揺れ出します。

 

あの日の、ご友人からの心尽くしの品だもの。

 

ただ、最後に電池を替えた店からは分解掃除が必要と言われています。
これが最低でも5000円。

 

いや、あくまでそのお店の『電池交換の際に一瞥しただけ』の見積りだから
店が変われば金額も変わる可能性大です。

 

ちゃんと点検すれば『この部品が』『あの部品も』
取り替えなくてはと言われる可能性もあります。

 

と、なると値段はどんどん積み上がります。

 

「思い出は金額じゃない」としても、あまりに高額(になるかもしれない)
の修理費払ってまですることだろうか、

 

大体、腕時計を使う生活ではなくなっているのに…。

小さいものなので「置いてても邪魔にならないし」という言い訳が立ってしまいます。

 

決断を先延ばしにして、またもや月日が流れていきました。

 

 

 

 やっぱり処分しようか

 

周期的にやってくる捨て活の波。

 

『止まった時計を持っているとタイミングがずれやすい』

嘘か誠か、そんな言葉を目にしました。

 

え゛!?   それは困る!

 

 

 市場価値を調べてみる

 

この時計がいくらくらいのものなのか調べてみることにしました。

 

『思い出は金額じゃない』

それは言い換えれば『思い出以外の時計としての値打ちは減って減って、もう無いに等しい』

 

…ここは冷静になることにしました。

 

検索してみます。

 

あれ?時計では見つからないよ?

 

このブランド、鞄ではヒットしましたが、時計が出てきません。

 

時計の分野からは撤退したのかな?

 

とりあえず、このブランドの鞄の相場がわかりました。それで時計の大体の予想もつきました。

 

香典とは別の、見舞いと祝い(卒業&入学)の品として、3、4人でワリカンするに妥当な金額だと思いました。

 

すると不思議なことに

あらためて感謝が沸き上がってきました。

 

いや、あの時の私は自分のことでいっぱいいっぱいで

周りの人にどんな声をかけてもらったのかあまり覚えていないのです。

 

この時計も直接もらったのか言付けられたのか記憶が曖昧です。

 

それが値段を調べるという行為で急に現実に変わりました。

 

 

 

時代的に、おそらく皆さん専業主婦かパート勤務。

メンバーでワリカンして、無理がない妥当な金額の品を、私の為に選んでくださる光景が
(見たこともないのに)目の前にばっと広がりました。

 

 

感謝と共に、私が当時を思い出すことで、時計もまた成仏したように感じました。

 

長い月日を経て、時計もまた、あちらの世界へ逝きました。

 

 家電量販店のレジで聞いてみた

 

一軒目では「うちじゃ扱ってないんですよー」と言われました。

 

え、でもHPには…。

まぁ地方も地方なので、回収した所で採算合わないのかも、と受け止めます。
引き下がりました。

 

 

二軒目  用意してきた小型家電リサイクルの500円も受け取られず

「はいはーい。これは△△だから無料で引き取らせていただきまーす」と
あまりに呆気なく解決。承諾書に名前だけ書いて終わりました。

 

え?それでいいの?  (△△部分の理由がわからん…)

 

手続きを待つわずかな間。

カウンターに置かれた時計を少し撫でて別れを告げました。

 

今までありがとう。

 

 

 

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