あれから9年。信じ難い光景にぽかんとしながらTVを見ていたことを覚えています。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災地の皆さまの日常が
少しでも穏やかなものでありますよう願っております。
宮城 災害ごみを復興の糧に
東日本大震災で大量に発生したがれきをどのように処理したか、宮城県 東松山市のケースを
紹介したドキュメンタリーです。
(細かい文言までは覚えられなかったので、間違って記憶していたらすみません)
市と、地元の会社で
地震発生直後から、市長を始めとする市の職員、民間の土木・建築関係の会社等々が集合し
ただちに復興を見据えた対策本部が立ち上がった。
→それより8年前の、宮城県沖地震を教訓に、地震が起きたらどこがどのように動くか。
初動態勢からしてしっかり決めていたそうです。
うわぁ凄い。ウチ、いざという時の準備できているのかしら。
民間の建築会社には「この作業には日当いくら」と前もって決めて伝えてあった。
会社間でも緊急時の組織図を予め作ってあった。
やがて災害ごみ処分場を大手ゼネコン主導で運営する話が入ってくる。
→迷ったけど引き続き地元の企業で回す道を選択。
なるほどー。地元企業が潰れてては真の復興にはならんからなぁ…。
ごみの手選別 そして心の再生
ごみの手選別を行います。
これに参加したのは仮設に住む地元の皆さんでした。
農業や漁業に携わる人が大半の東松山市。
けれどその”職場”は後数年は使えないのが確実です。
現金収入が閉ざされた人々に道を切り開きました。
インタビューに答えていた方は月20万くらいの収入が得られていたそうで、どれほど生活の上で、気持ちの上で、救いになったろうなと思います。
そしてそれは、同じ土地に住む人たち、ご近所さんの生活の品を、一つ一つ葬っていく作業でもありました。
「(おそらく”遺品”を前に)心で泣きながらやっていた。辛かった」
→ただ、片付けがもたらす力って確実にあったろうなぁ、と思うんですね…。
私も約2年前、個人的にサイアクな精神状態に陥った時、そこから引き揚げてくれたのは
自分でする掃除でした。
少しづつ身の周りを片付けていくことで得られた達成感。取り戻していけた自己肯定感。
少しづつ、少しづつでも前に進んでいくことで、癒しの効果を得られたのではないか、と
自分に置き換え、凄く納得がいった箇所でした。
仮設に引きこもりがちだった人々に、交流する場を提供する形にもなった、相乗効果を生んだ
という話はもっともです。
片付けで得られた収入
念入りに手選別を行って、きっちりとごみの種類、原料ごとに分けられたことで再生資源として
高く売却できた。
他にも、堆積してしまったヘドロを、防風林の残骸と混ぜて再生土として蘇らせ、土地の嵩上げの材料にしたり、と節約の取り組みを重ねたそうです。
結果、東松山市は宮城県の他の自治体と比べ、片付けのコストをかなり抑えられたとか
(人口、地形、被害の状況等が違うから一概には言えませんが、でも凄いなぁと思いました)
引き継がれるもの
2016年の熊本地震の際、東松山市から派遣された方々は、この経験を生かして支援活動に
あたられたそうです。
これから、どこであるかもしれない自然災害に対し、優れたノウハウが引き継がれてゆけばと
願います。
(このオンエアは2/8だったかな…下書きのまま止まっていました。本年における最終期限日だと思い、本日アップ致しました)