祖母の回顧録と母の絵日記?
祖母の回顧録
祖母が亡くなり家を引き払うことになった時に、この、さらさらと書き綴ったものが出てきて
そのまま処分するのが、その時は何だか惜しまれて
持って帰って、置いてました。
確か老境に入ってから始めたペン字。流麗な筆跡。
そこに書かれていたのは、私の知らない曾祖母と、祖母の物語。
ちょっと読み出して、そこで止めました。
昔の話
祖母は激動の時代を生き延びた人。忍従の人。賢婦。
父方も母方も、感情がそのまま口をついて出る人たちが多かった中で、この祖母に関しては決してそんなことはなく、寛容で柔和で、安らげる相手であり、その人柄にどこか憧れていました。
でもそんな祖母も、曾祖母との間では一人の娘であり、きょうだいとの扱いで鬱屈したものを抱えたり、己の母親に対して批判めいた感情を持ったりもしたようです。
私の知らなかった祖母の姿。
秘密…とまではいかないけれど、
ひそかに書き綴った思いの丈を、私が見てしまうのはよくない気がしました。
読むのはやめて、そして処分することはできずに、長く持っていました。
紙類は…大変だ!
そんなわけでずっと持ち続けていた回顧録。
そして、私の母親(祖母から見たらもちろん娘)の、小学校低学年の頃とおぼしき絵日記!!
祖母の回顧録は、言ってもここ△△年の間に書かれたものだと思われますが、私の母の小学校時代って、一体何年前の話よ!
「祖母が捨てられずに取っておいたんだな…」と思うと、これまた私も処分できずにいたのですが
近頃、紙類はホコリを吸う、撒き散らすと実感。
「だって!どの馬がいずれ出世するかわからないから!」と新馬戦から新聞記事を溜めこむ私が言えたものではありませんが
それでも極力、部屋の紙類は減らしていこうと決意しました。
軽度のホコリアレルギーもあるので、これ以上進行させるわけにはいきません。
ようやく前を向けそうだ
薄情な表現かもしれません。
でも、祖母も母も、過去の人だからね。
私もそろそろ、前を向かなくては。
日頃忘れているつもりでも、けっこう気持ちを支配されていたのかもしれないなと今振り返って思います。
よし、前を向くことに致します。
私は、今の私を生きることでけっこう忙しいのです。
お札返納
毎年のことですが、節分が過ぎるのを目安に、お札やお守りを返納することにしています。
今年は忙しかったり体調崩したりで、随分とずれ込んでしまいました。
ようやく、返納できました!
新しい御守りもいただいて、気持ちも新たです。