自転車
以前住んでいた場所では、自転車が欠かせない足でした。
駅へ行くにもスーパーへ行くにも、いつも自転車が一緒でした。
可能な距離なら自転車が連れていってくれました。私の可能性を拡げてくれるアイテムでした。
後悔
だから処分する気になどなれなくて、今の場所でも乗るつもりで持ってきたのに。
…所変わればあまり出番もないものですね。
ここは圧倒的な車社会でした。
そして、海を知らない私が予想だにしてなかったこと。
潮で錆びました…。
え~、以前ならちょこっと軒先に入れておくだけでよかったものを。
雨に濡れただけで錆びるなんてまずなかったものを。
失敗でした。
出番がなくて奥まった場所に置いてるうちに、どんどん錆びて手がつけられない状態になっていました。
錆落とし買ってきて…そして磨きに磨いたら…。一日で済む仕事だろうか。
劣化したタイヤも取り替えないといけないだろうか。
そうなると新車買うよりコストかかるだろうか…。
迷ううちに日は経ち錆びは進行し、そして “流れ” で自転車を手放すことになりました。
切々と後悔の念が沸いてきました。
別れ、だけど永遠
“流れ“で自転車を手放すことになりました。
以前、自分の一部のように乗り回していたのに、こんな別れが来るなんて。
こんな終わりかたをさせてしまうなんて。
薄々わかっていたのに手をつけなかった自分に腹がたちます。
だけどほっとしている自分もいます。
何とかしないといけないのに、その何とかができなかったこの私。
日に日に錆びてゆく自転車の姿が重くのしかかっていました。思い切れば、ラクになれるだろうとそれはわかっていました。
…今週、 “流れ“ であっという間に処分が決定してしまいました。
異議はないけど、それに合わせるけれど、錆びさせて放置した張本人が、言えた立場じゃないけど。
自転車に申し訳なくて別れを告げに行きました。
運ばれていくのは見たくなくて、しょんぼりして戻ると
「(自転車の)魂は取り出しておいたよ」と言われました。
そしてその魂は、私の大切にしているぬいぐるみが、飲み込んで腹の中で保管してくれるそうです。
丸い体躯を揺すると、ガムランボールのように、自転車の魂が鳴りました(イメージです!)
新しい自転車が来た暁には「べっ」っと吐き出して憑依させてくれるそうです。
…文章に書き起こすと
「おまえら大丈夫か!?」と言われかねないやりとりですが、心も弾んできました。
こんな話ができるのは、しあわせなことだなぁと思います。
皆さんも何か大切なものを処分することになってしまった時、その魂は何かが預かってくれている…と解釈するのはいかがでしょうか?(ダメかな)