恐ろしい量のメール
PCのメールはこまめにチェックしています。
必要なものは振り分け、用事があるものはしばらく残し、DMに関しては容赦なく捨てます。
ゴミ箱もこまめに空にしています。
なので私は、メールはしっかり管理できている人間だと思っていました。
…PCの方はね…。
スマホの惨状
同様にスマホも「ちゃんと管理できている!」と思っていたのになんじゃこりゃ!
受信ボックスに561通!
送信ボックスに429通!
ゴミ箱にいたっては140通超えしていました。ゴミ箱じゃないだろこれじゃ。
なぜこんなことになったのか、考えてみた
もらって嬉しかった言葉は取っておく傾向にあります。
楽しかったやりとりも残しておく傾向にあります。
しかし、同時にイラっとしたメールまでしっかり残してありました。
これを残して私は何をしたいんだろう、
今度会ったその時に、確かに私は不快な思いをしたんだと言う為の証拠にしたいのか。
…いや、実際にそんなこと行動に移せるわけないんです。
(日頃から思ったことをストレートに口にできる性質(たち)なら、別の場所で別の生き方をしていたと思います)
それでも私は不快なメールを残していた…来もしない、相手に怒りをぶちまけられるその日を
夢見ていたのかもしれません。
- 相手を完膚なきまで叩きのめしたい欲求
- 私がいかに深く傷ついたか わからせたい欲求
- こちらが正しいのだと認めさせたい欲求
私はこれらの欲求に、何年も餌をやって、膨らまし続けていたのです。
コンビニの書籍売り場に
『自分は絶対正しい』と帯に書かれた本が差し込んでありました。
…わぁ…。
自分の中にある暗いものを突かれた気分です。
これはもう、捨てろと天に言われてるようなもんでしょう。
どうせそんな日は来ないなら、どうせそんな事実行に移せないなら、纏めて捨てて
忘れてしまった方が建設的だと思えました。
消去に着手
消すにあたって、ざざざっと目を通してゆきます。
すると、当時は嬉しかったやりとりも、今はそこまでのときめきを維持していないのが
わかりました。
台風接近で互いを労わったやりとりも、数年経てば「へ、へぇ…台風来てたんだこの日」です。
そして、辛いメールもまた、今見ると「そこまで嫌悪する程のものだったのか?」
に変わっていました。
時間が経って私自身が変わったのかもしれません。
当時とてもイライラしていて、受け入れ受け流す状況になかったのかもしれません。
受信ボックスの奥深くに沈めたメールは、怒りを幾重にも纏ってとんでもないものに変身していました。
それらを事実のみの姿に戻して、そして消そうと思います。
結果
受信ボックス561通→206通
送信ボックス429通→170通
ゴミ箱は2通
までに減りました。
また篩にかけて、さらに減らしていく予定です。