年賀状 早々に整理
お年玉付き年賀ハガキの当選発表と共に、今年届いた年賀状の整理をしました。
早すぎるでしょうか?
でももう年が明けて三週間経過。
年始の挨拶という目的を、このハガキ達は十分に果たしてくれたのでは?
逆に私の出した賀状が、先方にどうされていようが構いません。
送った(贈った)物は、こちらの手が離れた時点で、相手の裁量に全て委ねられていると思うことに決めました。
相手も自由。こちらも自由。
そして去年あれほど苦しんだことからの解放
(↓年賀状って心が疲れます~)
ワタクシ、去年まで『年賀状出した人リスト』の各人の名前の横に
相手からの年賀状が届いた日を記入して
「向こうも元旦に届いた、届くように出してくれた」
「◯◯からまだ来ない」
「6日到着って!!(以下自主規制)」
と、一人喜んだり憤慨したりしていたのです。
…な、なんて暗い遊びなんでしょう。
とても差出人本人には言えません。
しかしそれが今年になって、憑き物が落ちたように、どうでもよくなりました。
私が元旦に届くようにするのは、年末ぎりぎりまで未消化の用事を抱えたくないからです。
それは私のこだわりポイントであり、年末年始を快適に過ごしたいが為の判断です。
ならば
・ 私はやりたいようにやっている、ということは相手にだって、やりたいことを選びとる
自由がある。
・ 相手にだって、こだわりポイント⇔気にしてないポイントがある。
・そんなことで誠実不誠実と決めて腹たてるほうがどうかしてる。
・心の消耗でしかない。
なーんーで自分の尺度で相手を測って、合致してくれない!
と勝手に腹を立てていたんでしょ。
嵐が過ぎ去ってみれば全くもって謎です。
言い訳
え、え~と、私~、日頃は真面目で、控えめで、相手の顔が立つことを即座に選びとって行動してるんです、そのつもりなんですよ。
しかし、それがかえってよくなかったのかな…。
いい人ぶってるうちに、心の中には鬼が住むか蛇が住むか、安達ヶ原に伏魔殿のフルコースです。
自分の心をないがしろにしてると、ろくなことがありません。
(↓自分の心を押し込めて、逆に相手に失礼になったかも、な話)
誰が決めたか”礼節”の言葉に縛られていた
『ニューイヤーカード』
新しい年のご挨拶をするとっても素敵な習慣だな、と思う一方で、形骸化したりストレスの種にもなっていると感じます。
どうだろう。絶対にやらなきゃならないもの、なんてこの世界にはないな。
年賀状でなくても、知人に親切を示せる手段は色々あると思います。
とりあえず、来年の年賀状は大幅見直しとなりそうです。(ざっくり300日以上先!)