母の遺品を手放す その3 リカちゃん人形の思い出

シンプルライフ

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 3年前の話なんです

 

この話は、ブログ開設するより少し前。かれこれ3年前の話になります。

 

本当は、遺品整理シリーズとして

 

 

の記事などと同時期に書き上げようとしていました。 (Part2書いたのもよく見りゃ去年だ)

 

が、なぜか、なぜか、放置して長い月日が過ぎてしまいました。

 

心のどこかに引っ掛かっているので、供養も込めてこの際書き上げてしまいます。

 

(どこまで当時の感情を覚えているのやら)

 

 

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 リカちゃん人形が捨てられない

 

母の、年の離れた従姉から贈られたリカちゃん人形を、捨てられずにいました。

 

私も可愛がってもらったこと、しかし程なく従姉が早世したこともあり(私の記憶にある、初めての人の死)

母にとっても、従姉の遺品に等しくなってしまったのかもしれません。

 

 

従姉から貰った玩具を、私が私の遊び友達に触らせてしまうが嫌みたいでした。

 

 

(まぁ、貰い物の塗り絵なのに、よりによってぐちゃぐちゃに塗った子もいたしね!

…でもその子はこっちの思い入れなんて知らないしね。それに一才違うと彩色のスキルも変わってくるしねぇ)

 

 

(それから私は、その大事なはずのリカちゃんのドレスを一着、友達に貸してしまい、結局返ってこなかったね! 母にはバレてないと思いたいけど。

バレたらどんな目に遭わされただろうか…。

こういうさ! 子ども同士の物の貸し借りの失敗って、通過儀礼だと今は思うんだよ!)

 

 

 母の従姉の遺品は、母の遺品にもなった

 

そんなこんなで十分に遊び倒して、おもちゃとしての役目は全うした筈のリカちゃんでしたが、

母まで若死にしてしまうと、二人分の思念が重なったものとして

どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。

 

「大切にしなさい」と言われた事が脳裏に焼き付いています。

 

なので、その後する4回の引っ越し先にも、全て持っていきました。

 

「大切にしなさい」が浮かぶ度、他の選択肢はありませんでした。

 

 

 さすがに、子ども時代は、遠い昔になった

 

が、ようやくここへ来て、さすがに、長い月日が流れたことを実感しました。

 

それでもちょっと前までは

「ほら!プレミアつくかもしれないし!」と手放すことを渋っていました。

 

後生大事に持ち続けていることに、価値を見いだしたいのです。

 

いやでもさ、冷静に考えてごらんよ。

 

外箱ないでしょう!?

 

私、相当遊び倒したよね?

 

髪とかぐちゃくちゃになっちゃってるよ?

 

これにプレミアつくと思う?

 

歴史もの?

 

別に私が残さなくても、タカラトミーの本社に行ったら置いてあるからね!(いや知らんけど)

 

ひとつひとつ、思い込みを解きほぐしていきました。

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 手放すことを決意した。決意したものの

 

ただ、決めたものの、人形で、それだけ持ち歩いた物の処分は、気持ちの上でもそう簡単にはいきません。

 

『ご希望される方には、お供養をした上で、寄付品として役立てます』という団体を選びました。

 

お供養…さて、どの程度のものかはわかりません。

 

集まった段ボール箱をひとまとめにして、上から幣で、ばっさばっさとされるくらいかもしれません。

 

それでも御の字です。

 

こちらの心の痛みを和らげる為に『お供養』と言ってもらえるだけで救いです。

 

雛人形をしまう時のように、目隠しし、顔にも柔らかい紙をあてて発送しました。

 

ところどころ壊れていた『グランドピアノ』や『ダイニングセット』は申し訳ないけどゴミに。

 

(↑ 自立しているように見えて、足が取れているピアノ)

 

回収の車を最後まで見送りました。

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 手放してみて

 

重石が取れた感じです。

 

そして、なくても一向に困ることもなく、毎日の暮らしを続けています。

 

今回、こうして3年前を思い出しながら書いてみて、本当に、あれだけ遊んだのだから、リカちゃんは玩具としての生を十分すぎるくらいに全うしたのだと思いました。

 

子どもとして誠実だったと、リカちゃんには胸を張って言えます。

 

母の従姉も笑ってくれるでしょう。

 

記憶の母には…何だかやっぱり憮然とされそうですが、それも赦してもらうことにいたします。
私から忘れます。

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