溜め込んでいた日記が8/23まで進みました。なんとかしなくちゃと本腰入れたのが7月半ば。その時は日記の上では5月だったのだから、追い上げ具合には満足しています。
(↓ 恐ろしく日記を溜め込んで悶絶する話)
(いやそもそもこんなに溜めるべきではないのですが)
私の日記の書き方
今までにも何かある度に筆が止まってしまい、最長9ヶ月溜めたことも。
楽しいことがあると書き切れなくて停滞し、
辛いことがあると脳で再現したくなくて止まってしまうのです。
そんなに溜めると忘れてしまうのではないかと思われそうですが、短いメモを取っている日もあるし、手帳や家計簿、あるいはwikiで『その月の出来事』を見れば、TV見て何を思ったかなど、
ある程度は思い出すことができます。
それを元に、まさに今日体験したかのように書いていくのが私流日記の書き方(溜めた場合編)です。
日記を書くこと=頭の掃除だ
今までにも度々溜めた中で、日記にしないとその日を境に自分が足踏みしているような感覚になることがありました(今回なら5月で停滞)
そして書いてしまうと、『実際に体験したこと』『終えたもの』として、後は過去の枠に流しに行ける気がするのです。
メモや情報の断片だった一日が、一つの話として収められます。
時は止めちゃいけない、特に今、世界が大きく動いている中で、まだ5月の感覚でいるのはあまりに『勿体ない』
コロナで日常がじわじわと侵食されていき、それに動揺し、そしてそこから静かに暮らして自分を見直す時間を得たのは今年の大きな歩みです。
書いて、書いて、外へ出していきたい。そして経験に変えたい。
今月は強く強くそう思うのです。
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